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採点のジレンマ

私は高校で音楽の非常勤講師もしています(現在は歌唱の集団授業を担当)。
学校では学期末と学年末になると成績を出さなくてはいけません。
毎回成績をつける度にその基準をどうするか、悩んでしまいます。。。

今までずっと歌唱や楽器演奏の実技テストというものを毎学期ごとに実施してきて、そこで採点するということをやってきたことはやってきたのですが・・・実技の能力なんて採点できるものではありません!
もともと音楽的な素のある子、ない子がいるし、小さいころからの環境の違いもあるし、スタートラインがそもそも違うので、どれぐらい上手に歌えるかなんてどうやって公平にジャッジしたらいいの!!って話です。
ピッチは正確か、リズムは正確か、言葉は正確か・・・って、カラオケの点数マシーンじゃあるまいしねえ。

では、授業態度と努力を評価したらどうか?
長いこと、これがベストだと信じて成績をつけてきたんです。
どれぐらい授業に集中できているか、どれぐらい努力して向上したか、などを評価の基準にします。

でもある時から(気づきのワークをするようになってから)、疑問に思い始めるわけです。
これって、私が何を提供しているかを自分で評価しているだけじゃない?
人は、心が動くもの、ワクワクするもの、楽しいと思えるもの、もっと知りたい!向上したい!と思えるものには、勝手に自然に集中して、努力するもの。
もし、生徒が集中していなくて、ヤル気がなかったとしたら、授業の方がその生徒の心に訴えるものを持っていないだけなのです。
先生側がそれを見せてもらって、そこから授業の内容向上に努める指針にすればよいのです。

それに、私が楽しいと思うこと、提供したいことと、生徒全員が楽しいと思うこと、与えてもらいたいことが必ずしも一致しているわけではないはず。
心が動かない、ということは、それがその子のミッションには役に立たない、ということを魂レベルでちゃんとわかってるんですよねー。

それに、私は「集中するべき」「努力するべき」「向上するべき」ということを本当に教えたいのでしょうか???
いえいえ、この価値観から自由になりたくて、そのために努力をしているぐらいなのに(笑)。
教えたいはずがありません。。。
「切磋琢磨で全員向上」にはもううんざりです・・・。

ではでは、「忘れ物をしない」「授業中寝ない」「授業に関係ないことをしない」「50分席に座り続ける」「遅刻しない」などの基本ルールを作って、どれぐらい守っているかで採点するというところで手を打ちましょうか。
・・・はあ。

いまだに忘れ物の女王であるこの私に、学生の時授業中しょっちゅう居眠りをしていたこの私に、こっそり漫画読んだり、隣の子とコソコソ私語をして楽しんでいたこの私に、先生という立場を借りてそんな評価を人に下すことが許されるのでしょうか・・・。

人は言います。
「学校の基本的なルールぐらい守れないと、社会(つまり管理社会)に適応できない」
それは本当でしょうか??

確かに、学校の基本的なルールを守るという訓練は、勤勉で従順な会社員になるのにはとっても役立つけど。。。みんながみんな勤勉で従順な会社員になりたいわけでも、向いているわけでもないしねー。
ルールや賞罰(恐れ)で抑えつけながら行動するように誘導していったら、抑圧の多い人を育てることになります。
抑圧は、病気、ウツ、ストレス、怒り、暴力、偽善などを生み、感受性や創造性を奪います。
(セラピーで行っていることの一つは、この〝抑圧の解放”なんです!)
・・・って考えていたら、もう成績なんてつけられまへん!

今まで、自分を騙し騙し続けてきましたが、
あまりにもパラダイムシフトが急速に起こりすぎて、自分がこの管理社会の中で機能していくことが難しいということがわかってしまいました。
私が感じるのは、最近は生徒の方が、もう賞罰のために行動することに対して白けモードです。

成績を付ける、というまあ当たり前に行われていることが本当に子どもにとって、これからの社会にとって必要なことか、見直す時期なんじゃないかなー。
採点は少なくとも、先生が生徒の理解度を把握して、自分の授業の改善のために利用するものであって、子どもの精神的プレッシャーを強めたり劣等感を植え付けたり、子どもに「あなたはこれぐらいの能力」とレッテルを貼ったり、利己的な大人に育てるためのものであってはならないと思います。

わたしたちの大半は、集中するとはいかなることなのかを学びます。つまり、子どもの頃から何かに集中することを強いられているのですが、一般的に、 わたしたちはそうすることが好きだとは思っていません。そのため、嫌いなことを無理強いさせられることに対してある種の反発を覚えるようになります。
あなたは何のために教育を受けるのでしょう? あなたは一人の人間として、どんな存在になろうとしているのでしょうか? 今日においては、もっと も高度な政治組織から洗練を極めた宗教制度に至るまで、いずれも凡庸さに支配されています。あなたが教育を受けるのは、こうしたパターンに適合するためで しょうか? 情熱をまったくもたない、自分自身や周囲の世界との葛藤を抱えるような凡庸な人間になろうとしているのでしょうか。
(クリシュナムルティ、「アートとしての教育」 41注意深さ より)

わ~、そんなことをツラツラ思いながら書いていて、ふと他所のブログを見たら、めっちゃシンクロ!!!
「まっかなトマト」の鈴木さんのブログ『平均点』~原点回帰~

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