そんなに普通がいいですか?
普通じゃないから不幸だと思っている人へ
私のところには、自分は変だと思っている人がたくさん来ます。
そして、変わっていることが嫌で、苦しくて、普通になりたい、普通であることが羨ましいと口々におっしゃいます。
果たして、普通であることがそんなにいいのでしょうか。
今日はそれを考えてみたいと思います。
自分が変だと思っている人たちから見た普通の人というのは、普通の家庭で育った人、普通に学校に通った人、普通に学歴がある人、普通に就労している人、普通に恋人や伴侶がいる人、普通に子どもがいる人、普通に友だちがいる人、普通に社会生活を送っている人みたいです。
あなたが、普通の人たちを見て、普通はいいなぁ、と思うのは、「自分が苦しいのは、普通じゃなかったからだ!」という思い込みがあるからです。
それを投影して見るから、普通の人がよく見えます。
「自分が苦しいのは、普通じゃないから」
それは、本当でしょうか?
例えば「私は普通の家庭で育たなかったから不幸だ」という人。
こんな家に住んでるのが普通。
こんな生活スタイルが普通。
親子はこうあるのが普通。
兄弟姉妹はこうあるのが普通。
夫婦はこうあるのが普通。
家庭の風景はこんな感じが普通。
テレビドラマやCMで、「こんな家庭がスタンダード、理想的」っていうイメージをみんな見せられています。そして、そこから外れているところをカウントして、たくさんあれば自分の家は変だと思うわけです。
テレビやCMで見せられるような理想的な家庭が一体どこにあるでしょうか。
みんなが、そのスタンダードから外れているのが怖いので、人に話すときはスタンダード・イメージにはまっている部分だけを誇張して話します。
見せているのは、スタンダードの枠組みにはまってる一部分のみです。
外れているところは隠すか、あるいは悩みや苦労話として話すので、やはりそのスタンダードから外れてることはいけないことだとお互いの思いを強化し合います。
どんな家庭も本当は問題がいろいろ起きているのに、家の事情をすべておおっぴら、、というのはまずありません。普通を装おうのがとても上手なわけです。
日本の8割の家庭が大なり小なり機能不全家庭というのを読んだことがあるけれど、私は9割以上ではないかと思っています。
どこの家庭も機能不全家庭だとしたら、あなたはある意味「普通の家庭で育った」ということにならないでしょうか。
次に、学校に行くこと、学歴があることはどうでしょう。
硬い椅子の上で、毎日朝の8時半から夕方まで、長い人で9年間も、骨盤を固定した姿勢でいる。
これって、命にとって自然なことでしょうか?
どんなに考えても身体にとってよくないことです。
「座りっぱなし、身体に悪い」などで検索してみてください。
最近では世界中で座りすぎが身体に良くないということが認められてきています。
元気なはずの十代に肩凝り、便秘、花粉症が酷く、それからも冷え性が続いたのは、身体にとって良くないことを何年も続けていたせいだったということが今だとよくわかります。
多動性障害と言われている子どもたちは、いのちにとって何が良いのか悪いのか、本能的によくわかっているのです。だから、みんなと同じようにいのちをいじめるようなことをしません。
日本屈指の身体思想家である野口晴哉先生もご著書の中で、座りっぱなしで頭だけをせっせと使っていたら余剰エネルギーが凝縮し、不満や不安、後悔と化し、それを鬱散させるような破壊行動が出る、ということを書いておられます。台風、洪水、地震などの自然現象と同じです。
それを大人たちが残酷にも「障害」とレッテルを貼ってしまうのです。大人も、本当の体育を勉強してきていないので無理もありませんが、、、
勉強はどうでしょう。
学校で教わる教科書の内容は、絶対に正しいものだと、子どものころは思っていました。
ところが、10年ぐらい前からいろいろ勉強し出して、「これは実はこういうことでした」、「これは正しいことではありません」、「真実は、こうです」というのがどんどん出てきて、「まあ!いったい学校というところはなんとウソばっかり教えるところなんでしょう!!!」とビックリしたものでした。
読み書き計算はいいとして、歴史、地理、社会のシステム、科学、人体のしくみ、太陽系の在り方などに関しては本当に全部デタラメでした。権威者が、「これを正しいこととして教えましょう」と勝手に決めてるんですね。
だから、学校で教育をちゃんと受けた、学校の成績がよかった、というのは、実質なんの意味もないのだと思っています。むしろ、その知識が邪魔して私の頭はフリーズしていたというのは先日書いたとおりです。
「普通の人たちは、学校で仲間たちと楽しい思い出づくりができる」
と、学校にあまりいい思い出がない自称「変な人」たちはいいます。
学校にはイジメがあります(大人の社会にあるから、あるのですが)。
つまり、さきほど書いたように、心地よく過ごせず自由を縛られる窮屈さを身体で感じ、鬱積した余剰エネルギーを「いじめ」というカタチで発散しているわけなのです。
いじめられている子は、自分に問題があるからいじめられるのだと思ってしまい、まさかいじめっ子が本当は自分の弱さや無力感、不安を感じているからそういう行為をしているとは思えません。
わたしの学生時代にもイジメはありました。
イジメのあるクラスというのは、決して安らげる環境ではありません。
陰湿な空気、言いたいことが言えない空気、恐れ、不安、罪悪感、、、
イジメに直接関係ない子どもにもその空気感の影響は大きくあり、学校はとてもストレスフルな空間となります。
わたしは小中学時代、いわゆる“普通”の子だったと思いますが、そんなわたしも軽いイジメを体験したことがあります。
小中学校で3回転校をしたのですが、一度転入した時に前の学校の話を楽しそうにしたら、自慢と取られてクラスの人たちに嫌われてしまい、それからしばらく無視されました。
子どもにとって(大人でもそうですが)、そんな環境の中に一日身を置くのは、とてもとてもストレスフルなことです。
イジメの認知件数は年々増えていますから、今の子どもたちは本当に大変だと思います。イジメの体験は、世の中や人間関係に対する見方に一生消えることがない影響を与えます。
不登校の子どもが増えて、もっともっと子どもたちに伸び伸び勉強したり遊んだりできる安心安全な環境を与えたいと考える親が増えて、オルタナティブスクールがどんどん増えているのも無理はないと思います。
不登校は自分自身が幸福であるための生き方のひとつ
学校に行けないことが問題なのではなく、学校を選べないことが問題
イジメ、左脳偏重の教育内容など、確かに学校は問題もいっぱいあるけれど、今は「学歴」がないといい就職ができないのだから学歴がないのはやはり問題、と学歴がないことを嘆く自称「変な人」はいいます。
「学歴が無いと損」という固定観念があると、そのフィルター越しに世の中を見るので、そういう風にしか見えないだけです。実際のところが見えてくれば、社会で活躍していることや幸せな人生を送っていることと、学歴は関係がないことがはっきりわかると思います。
こちらの記事を読むとわかるのですが、
”大学”は就職のためのパスポート取得機関、だから、奨学金という借金をしてまで行く価値がある、、、というのはもう過去の話。
今は、有名大学を卒業してもブラック企業社員か派遣社員かフリーターか奨学金破産か、という世の中です。
ちなみに、わたしも就職というパスポートが欲しいばかりに多額の奨学金を借りて大学院の博士課程まで進学しましたが、結局大学院卒というパスポートが役に立ったことはほとんどなく、借金だけが残っており、今は学歴とは関係の無い職業をしています。
それが無駄だったといいたいわけではありません。
ただ、学歴さえあればなんとかなる、という時代ではもうないのだ、ということに目覚めた方がいいよ、と学歴のある人にもない人にも言いたいのです。
不登校の子が就職できる保証なんてないけど、そもそも親は子どもの不安に関与すべきじゃない
その他にも、恋愛が普通じゃない、容姿が普通じゃない、健康状態が普通じゃない、経済状態が普通じゃない、性格が普通じゃない、年齢相応でないから普通じゃない、だから自分は欠陥品だと思える要因はいくらでも見つかると思いますが、それが何であっても、それであなたが不幸になる要因は一つもありません。
普通であってもなくても、目覚めなければ同じ
わたしたちは、「こういう枠組みの中にはまって生きていれば安全だけれど、外れたら怖い目に遭うよ」という夢を見せられています。
その夢の中で、枠組みの中にいる人たちが常に安全を感じているかといえばそんなことは全くなく、その枠組みは常に時代と共に変動していくので、自分がその枠組みから外れたらどうしよう、と不安を常に抱えながら、絶えず自分のやりたいことを制限しながら狭い世界に閉じこもっていきます。
「上下」「対立」「同一化」が、その枠組みを作っています。
上下・・・支配と服従を生む
対立・・・攻撃と防御を生む
同一化・・・「枠組みにはめること」、我慢、義務、犠牲を生む
その枠組みは、人々を欲求不満、不健康な状態にしておくものになっているので、その中に無理にハマろうとしている人たちは、いつもどこか体の調子が悪く、いつも何かに不満を持っています。
普通じゃない、枠から外れた人たちが羨ましく見えることもあります。
だって、自分がとても窮屈を感じていてエネルギーが鬱積しているから。
それで、「自分たちと同じようにしろ」とコントロールしたがるのです。
一方、その枠組みに入っていない少数派の「普通じゃない人たち」も、同じ夢を見ていることには違いありませんから、枠組みの中にはまっていないから自分は欠点がある、安全ではない、と、枠組みの中にハマっている人たちに嫉妬したり、劣等感を抱いたり、自分を受け入れてもらえないこの世は地獄だ、という絶望の思いを抱いたりします。
今、わたしの周りには、「こういう枠組みの中にはまって生きていれば安全だけれど、外れたら怖い目にあうよ」という夢から目覚めつつある人たちがどんどん増えてきています。
目覚めるとそこから新しい次元がはじまります。
同じ時空間にいるけれど、違う次元で生きはじめるのです。
より高い次元の世界は、低い次元からは感知できません。
夢を見ている状態からは、目覚めている状態がどんな感じかわからないのです。
だから、未知の世界に行くのが誰でも怖いのです。
新しい次元には、社会に適合しながら、ある時“普通であること”に絶望を感じて夢から目覚めた人と、「普通になりたい」を諦めて“自分は変わってていい”、に目覚めた人がいますが、どちらかといえば、後者の方が多いと思います。
目覚めた視点から見たら、“普通”も“変わっている”もなく、ただ夢を見ている人がいるだけです。
枠組みの中で生きている人たちは、枠組みの中で「価値がある」とされているものをあまりにたくさん持ちすぎて(つまり洗脳が強い)、それを手放すのは、とても恐ろしいことだと感じます。
そして、枠組みの中に留まるためには常に「価値がある」とされるものを外の世界に求め続けることになりますが、それは次世代への「(思いの)借金」となっていくのだと、ありがとうおじさんは教えていらっしゃいます。
また大多数、集合意識のエネルギーの強さもあり、夢から目覚めるのは困難を極めます。
一方、社会に適合できない人は、本能的に不自然さに敏感だからこそ枠にハマれない、そして「こんな自分はおかしいのか?」という問いが、真実(自分の内側)の探求のきっかけになるのです。
そういう意味では、「変わっていること」は、天国へのパスポートを手にしているといっても過言ではないのです。
夢から目覚めて、天国を生きるには
☆過去のつらい出来事で鬱積した感情や、過去に縛り付けている恐れから自由になるための技法を学んで日常的に使ってみてください(タッピング、瞑想、呼吸法、運動法など)。
どんなに「ただ存在するだけで、自分は無条件に愛される」と頭でわかったとしても、体の細胞に残っている恐れのエネルギーが強ければ、自分が欠陥である理由を外に探し続け、不安情報に反応しやすくなります。
☆自分が変われば社会に適合できるようになるかも!と考えるのではなく、今の社会に合っていないのなら、自分に合った新しい社会を生み出せばいい、って考えたらどうでしょう。そっちの方があなたの魂の計画に沿っているのではないですか。そういう考えのシフトが起こったとき、「一緒に新しい社会を作りたい」という仲間が必ず現れます。
☆誰かが「あなたはおかしい」と正そうとしてきたら、その行為は彼ら自身の混乱や無知、苦悩の状態をあなたにダイレクトに投影しているのだと理解しましょう。
そして、彼らがその混乱や苦悩の状態から目覚めますようにと祈ることは、彼らだけでなくあなた自身のためになるということを知ってください。
☆わたしの周りには、既存の社会に適合していない宇宙人みたいな人がいっぱいいます。みんなとても変わっていて、人の痛みも分かる良い人達で、そしてとても幸せに生きています。
わたしたちと一緒に新しい社会を作りませんか?
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