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「「見る」「見られる」ことからの解放

今年もあと数日となりました。
明日までサロン営業しております。
年明けは4日スタートです。
明日のセッション枠まだ空きありますので、まだ今年のモヤモヤが残っている方、
ぜひすっきりさせて新しい年を迎えてくださいね。

さて、昨日は「笑い」という極陽のテーマでしたが、
今日は打って変わって、「暗闇」という極陰のテーマです。
何事もバランスが大切(笑)。

先日ご紹介した「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」で、暗闇の神秘・可能性に魅せられ、
こんな本を買っちゃいました。

『まっくらな中での対話』茂木健一郎withダイアログ・イン・ザ・ダーク
この本の中で脳科学者の茂木健一郎さんと対談されている志村季世恵さんは、セラピストでもあり、人の心に必要な要素が「ダイアログ~」にはあると感じ、「ダイアログ~」の理事として企画・運営に携わっておられる方です。
セラピストとして何冊か本も書かれていて、AMAZONのレビューでも好評で、そちらの本にも大いに興味をそそられます。
今日は『まっくらな中での対話』より、その志村さんと茂木さんの対話の中で、「なるほど~」と心を打たれた部分があったので、引用紹介します。


茂木 セラピストとしての季世恵さんは、人間の魂というか、スピリチュアリティを考えたときに、「ダイアログ」はどのような役割を果たすとお考えですか?

季世恵 ひとつ思うのは、人間は暗闇の中で生まれ直しができるということです。
「ダイアログ」を体験された方の中には、たまに泣いて出てこられる方がいるんです。
最初の頃は、「暗闇が怖くて泣かれたのかな」と心配になって声をかけていたんですけど、そうすると「そうではない。感動して泣いているんだ」と言われるんですよ。
そこで、「何に感動して泣いているんですか」と聞いてみると、「私は人のことが好きだったんだな、ということを思い出して泣いています」とか、「自分自身のことをすきなんだとわかって泣いています」というのが多かったんです。
私は心に病を抱えた方のカウンセリングをしていますが、通常、このような答えにたどり着くためにはカウンセリングを八回から十回くらいはしないと到達しないんです。それがたった一回、六〇分間でできてしまうというのは、いったい何なんだろうなぁと思うんです。

茂木 なるほど。それで、それはどういうことだと思われます?

季世恵 私が思ったのは、まず「暗闇では助け合わなければ何もできない」というのが大きいと思うんです。
ふだん私たちは、目が見える世界では、人に頼らなくても、また人を助けなくても、それぞれ自分ひとりでできることってずいぶんある。
けれども、暗闇の中では私たちはまったく無力です。一歩一歩ゆっくり歩くだけでも、「○○さーん、どこですかー」とか、「今、○○はここにいます!」というように、それぞれの存在を確かめながら、助け合いながら進んでいきます。その過程を通じて、人は一人では生きられないんだ、という根本のところに改めて気づくのかもしれません。
もう一つは、「余分なことを見なくなる」ということもあるかもしれません。
「見る」というのはおかしな表現かもしれませんけど。そもそも暗闇の中では何も見えないわけですから。
ただ、私たちはふだんの生活では必要のない情報までも付随して見えてしまっているという面があると思うんです。
でも暗闇ではそれが無くなって、不要なさまざまな情報はどんどん引き算されていく。そうした結果、自分自身にとって本当に大切なことだけを情報として得ていこうとするのだと思います。自分自身の本質、感覚に寄り添うということかしら。

(中略)
季世恵 よくお客さんに言われる言葉があるんです。それは、「名刺も肩書もいらない世界を味わえた」「男女の区別もなくなった」というものなんです。それどころか、「自分の輪郭さえもわからなくなって、自分の存在がどこにあるのかわからなくなった。でもその感覚が、とても自由な感じがした」と言われた方もいました。

茂木 うーん。「男女の区別」、「自分の輪郭」、「自分の存在」か。
(中略)
僕たちは毎日、自分がどういう顔をして他人に接しているのか、他人がどういう顔で自分に接しているかを、否応なく認識しながら生きています。
つまり我々の自己認識は、知らず知らずのうちに視覚的なイメージによって、作り上げられてしまっているのです。
特にそれが女性の場合は顕著です。「見る」こと「見られる」ことによって、自分の存在が規定されてしまうことに、幼いころから慣らされてしまっているんだと思います。
とにかく現代人にとって、この世界で生きる上での落とし穴ってたくさんあると思うんですけど、この「見た目中心の価値観」が我々の魂に及ぼしている毒というのは、相当強いと思いますよ。
一瞬たりともその価値観から離れられずに僕たちは生きているわけですから。
だからこそ「ダイアログ」で暗闇に入ることで、その呪縛から一瞬でも解き放たれるのが、とてつもなく心地よい喜びにつながるんだと思います。
しかもたった一人でいるから解放されるのではなく、赤の他人といるのに解放される。このパラドックスはね、やはり感動すると思いますよ。

季世恵 暗闇が解放感や安心感につながるんですね。

茂木 (略)脳科学の分野から見てみると、「癒し」とは「全体性を回復すること」なんですよ。
我々の脳は、ふだんあまりにも「見る」ということに使われすぎています。実に脳の三分の一が視覚領域ですから、自分が「見る」こと、「見たもの」を情報処理することに、僕たちの脳は三分の一も費やされてしまっているんですよ。だからこそ、「見る」「見られる」ことから解き放たれることは、大いなる「癒し」になるんです。
しかも視覚による情報処理から解き放たれた分、それ以外の感覚、聴覚や嗅覚、触覚など、ふだんあまり使われていない分野を、今度は活発化させることができる。
それこそ脳の「全体性を回復すること」であり、僕たちは暗闇の中でこれまで体験したことのない癒しを経験して、光のもとに出てくるんです。だから出てきた人が泣くんですよ。

季世恵 なるほど。暗闇は脳のバランスを回復させるんですね。
(P.43~51より抜粋)


暗闇で「全体性を回復する」・・・なるほど、深いなあ。
「見た目中心の価値観」が我々の魂に及ぼしている毒。。。
「美しいか醜いか」、「太っているか痩せているか」、「若く見えるか老けて見えるか」
「背が高いか低いか」、「ファッションセンスがいいか悪いか」、、、
容姿の違いを個性としてではなく、優劣の物差しとして他人と自分を比較し、
傷ついたり自尊心が委縮している人は世の中にたくさんいます。

美しい容姿の人でさえ、それと自分を同一化している人は、そういう資質が衰えたりなくなってしまうことに恐れや苦しみを感じています。
「見た目中心の価値観」に毒されている部分、男性ももちろんあると思うけれど、
やはり女性のそれとは比べものにならないのではないかな。

私の場合「見た目」というものが現世の最大のテーマというわけじゃないけれど、
それでも一日のうち「見た目中心の価値観」に沿って自分がどれだけエネルギーを使っているかを考えた時、
その相当な量に驚いてしまいます。

そのエネルギーは、自分へのパワーになることもあるけれど、やはり大半は毒です。
だから、このお二人がおっしゃるように、暗闇で過ごすことで人がまっさらな素の状態に戻っていくというのがわかる気がします。
って「ダイアログ」の宣伝をしているわけじゃないけれど(笑)、
言いたいのは、見る、見られるが当たり前の世の中で、「見えないということで得ることがあり、見えることで背負っているもの、失っているものもあるよね?」という気づきも必要かな、ということです。

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