
ともちゃん教
救ってくれるはずの「教え(宗教的教義、道徳、セオリー)」が、実は自分を苦しめているものになることがあります。
「教え」が自分を救ってくれる時というのは、その「教え」が今までの思考の枠を破壊し、そこから抜けるのを手伝ってくれるときです。
その時の解放感があまりにも素晴らしいと、「この教えは凄い!これこそが本物だ!これこそが神の声だ」とエゴは考えます(←普遍的なエゴの罠)。
しかし、「教え」はなんであれすべて「思考の枠」ですので、その「教え」が全てだと思った瞬間にまた新たな思考の枠に自分を閉じ込めることになります。
その思考の枠は何かを決めるときの指針にもなるので、自分であれこれ考えて決める必要はなくなるし、何よりも枠に守られているという安心感があります。
ところが、いのちというのはどんな枠にもおさまりきるものではありませんので、その枠からどんどん出て広がっていこうとします。
胎児と同じで、いつまでもお母さんの子宮の中にいることはできないのです。
いのちはどんどん枠から出て拡大していこうとする、でもエゴは「この枠の中こそが絶対なのだから、外に出るのは危険だ」といっていのちを閉じ込めようとします。
これは、アクセルとブレーキを同時に踏んでる状態でどんどん身体のエネルギーを消耗させ、病気の元にもなります。
どんなに“神の声”を示しているように思っても、救ってくれるはずの「教え」が、自分を苦しめるものになるのです。
それに気づかずに、ある“特別な教え”にハマっている人がうちにも時々いらっしゃいますが、彼ら彼女らはその「教え」の示す状態になるようになるにはどうしたらいいのか、どうやったら救われますかと聞かれるのですが、まさかその「教え」から抜け出ることが唯一の解決法だとは思えないようなのです。
あなたを一度は救ってくれた「教え」を否定するつもりはありませんし、あなたがそれを大切にしてきたことを否定する必要もありません。
しかし、その役目はもう完了したのです。
あなたはもうその枠を卒業してもいい頃です。あなたのいのちは、そんな枠にずっと納まっていられるほどちっぽけではありません。
それに、ひとつの教えにすべて書き切れるほど、宇宙って薄っぺらいものではないと思いますよ。
「枠(思考)」の外には、満遍なく愛が広がっています。 枠は入れ子構造になっていて、ひとつ抜ける度に愛の度数が高くなっていきます。枠の中に閉じこもっていれば、新たな愛の次元に溶け込むことができません。
私はエックハルト・トールやバイロン・ケイティ、奇跡のコースなどの説く教えが大好きで今でもよく触れていますが、これらの教えはどちらかというと、諸行無常であること、人間がいかに枠に閉じこもって分離の状態を作り苦しみを生みつづけるかということと、その枠を外して満遍ない愛に溶け込んでいくための実践法を説いています(とはいえ、教えは教えですから、必要なくなったら手放します)。
何十年も一つの枠を棲家(シェルター)にして自分の身を守ってきた人にとって、守ってくれているはずの「枠」の中の方が実は恐れに満ちていて、その「枠」の外に絶対的な安心があるというのはなかなか信じられないかもしれません。
が、枠をどんどん外していってる人たちをよく観察してみてください。
誰よりも生き生きと楽しく、誰よりもリラックスして、本当の笑顔で毎日を過ごしているのがわかると思います。
とにかく、その教えは本当にあなたをどんどん軽く、生き生きとさせてくれているものなのか、一度俯瞰してみて下さい。
その教えがなんであれ、それを距離を持って眺めることや手放すことに抵抗を感じれば感じるほど、あなたのいのちはその枠の中に閉じこもって不自由になっている可能性があります。
大丈夫、あなたのいのちは、そのあなたの大切な教えよりもずーっとたくさんのことを知っているし、あなたを必ず幸せな方向へ導いてくれますよ!
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