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本当の「癒し」とは??

5ヶ月ぶりの東京で、おととい、昨日で3人の方の個人セッションをさせていただきました。
目の前のクライアントの方が新しい視点を得て、意識がフワッと広がる瞬間があるのですが、今回もそんな瞬間に何度か立ち会えて、私自身の意識もさらに広がっていくのを感じて、この仕事をやってて本当に良かったなぁ~と改めて思いました。

さてそんなセッションの合間にちょこちょこ書いていたものを、アップしていきたいと思います。
私はたまたま(本当はたまたまなんてないけれど)心理セラピストとして癒しの仕事に関わっているけれど、実を言うと、私が目の前のクライアントを癒しているわけではありません(←問題発言?)。

もちろん形としては、私は持ち得る知識やテクニックや能力を使ってセラピーやヒーリングをしているように見えるかもしれません。
でも真理の視点からすると、本来はより何かを知っている(持っている)誰かから、病んでいるあるいは苦しんでいる誰かに下されるという形の癒しというのはない、というか、あり得ないのです。

まず、あらゆる悩み・苦しみ・病は、私たちが「自分はこの個としての身体で、生まれたり死んだりする」という、自分自身に関する完全に間違った思い込みから生じている、というのは、前回見てきたとおりです。
この世に人として生きているということは、つまりみーんな間違った認識を投影した世界に生きているということです。
病気、怪我、心の不調、悩み苦しみ、それがなんであれ、病は全て「間違った思い込み」の結果として心身に現れる現象(幻想)です。

真の癒しとは、この間違った思い込みを手放し、より真実を生きるようになることです。
つまり、癒しはマインドが正常化され平和になった結果、もたらされるものなのです。
「自分=この身体で、生まれたり死んだりする存在だ」というどうしても抜けられない思い込みから完全に自由にならない限り、誰もが癒しの道にある、つまりあらゆる人(覚者は別として)が治療や癒しの対象であるということになります。
みんなが癒し・救いの対象ということはつまり、誰かが癒す人で、誰かが癒される人という、一方的な関係はない、ということです。

私の好きな「奇跡のコース」によると、真の癒しとは、神あるいは生命の源泉から「聖霊」を通してもたらされるものなのです。
※聖霊については次回書きます。

だから、しつこいですが、セラピストが一方的にクライアントに何かを施して癒しが起こるわけではないのでした(一見そんな風に見えるけど)。
実際は、セラピストもまた目の前のクライアントによって癒され救われているのであって、真の癒しの観点からすれば、お互いに等しく癒しの道を歩んでいる存在ということになります。
よくセラピーの勉強会などで、2人組になってセラピスト役、クライアント役になって練習をしたりしますが、そこではどちらも等しく学び手ですよね。それぞれの立場で「学ぶ」。
それと同じようなことです。

形の上では、セラピストがクライアントにセラピーなりカウンセリングなりヒーリングなり、何かをしてあげる、というふうになっていますが、本質的には、クライアントも同じようにセラピストに多くを与え気づかせているのです。

もちろん、自分が相手より多くを学び、癒しの道を一歩先に進んでいるように感じている部分はあります。
でもそれはあくまでもこの三次元的ホログラム、つまり“見える世界”のことに過ぎないのです。

本来のセラピストの役目は、クライアントを鏡にして自分のマインドを浄化し正常化しつつ、癒しが起きやすいように場を整える、あるいは、“聖霊”が働きやすいようにするということなのです。
セラピストとしての私の口から出てくる言葉や、使うテクニック、誘導などで、目の前のクライアントが癒され、楽になったように見えても、実際のところは、私がそれを言わされているのであり、テクニックや誘導も、私を通して働いているものなのです。

あるいは、「何もしなくても」(むしろその方が聖霊は働きやすい)、癒しは起こります。しかも、双方(あるいはその縁者たち、ひいては世界全体)に。
また、たとえセッション後クライアントに、「楽になっていない」、「前とあまり変ってない」と言われたとしても、そのセッションが「失敗だった」とは限りません。
それがうまくいってるのかいないのか、すぐに判断できるほど、私たちは「目覚めて」いないのです。

反対に例えば、痛みが一時的に消えたり、状況が一見良くなった(その人にとって)からといって、実際に癒しが進んだとも限らない、むしろエゴがパワーを持って癒しとは反対の方向に進んでいる可能性もあったりします。

そもそも病やあなたが悩まされているあれこれは、(偽りの分離感から来る)恐れやら罪悪感やらが外在化されたものなわけで、その外在化されたものが変化したところで、大元の罪悪感や恐れ、つまりマインドが何とかされてないのであれば、いつかはそれがまた外在化するわけなので、結局それは真の癒しとは言えないということになります。

とにかく癒しは、セラピストとクライアントがほんの一瞬でもエゴの囚われから自由になり、神あるいは真理に目覚めた状態に没入すれば、そこで必ず起こるものということになります。
というわけで本来のセラピーの目的は、現れた心身の不調を何とかすることではなく、「マインドを正常化する」ことです。

「マインドを正常化する」、別の言い方だと、「潜在意識下にある間違った思い込みを取り除く」とか、「真理を見えなくしているブロックを外す」とか、「心の眼を開く」、「より高い視点で物事が見えるようにする」…となるでしょうか。

マインドが正常化されればされた分だけ、必然的に心身の不調や目の前の問題(うまくいってない人間関係・貧困・仕事上のストレスなど)も解消される、のです。
これはセラピーの現場に限ったことではなく、実際は、どんな人間関係も癒しの現場となっています。
一見全く普通に見える日常でも、「癒し」は起こっています。

聖霊の働きにより、友だちの何気ない一言だったり、たまたま開いたブログの一文だったり、あるいは赤ちゃんの無邪気な笑顔が、あなたに「奇跡的な治癒」をもたらすことだって大いにあります。

ところで、私の癒しの道で大活躍してくれている「奇跡のコース」ですが、そこ(や聖書)によく出てくる「聖霊(ホーリースピリット)」という言葉を使うのが、実はあまり好きではないのでした。
そもそも「聖霊」って何なの?その「聖霊」にお願いする、委ねる、とはどういうことなの?
一体どうやってお願いすればいいんだ?
「聖霊」から答えを受け取っても、どうやってそれに気づけばいいの?
と、とにかくよくわからないので、わからない言葉は使えない、というか、使うのに抵抗がある、というのが本音でした。

でも、なんか無視できないものでもありました。
最近になってようやく、「聖霊」や「聖霊の働き」というものを感じられる部分が増えてきたので、次回は、私なりの「聖霊」についての見解を書いてみようと思います。

さて、今日からEFTの講習会、この3日間でどんな「聖霊の働き」が展開されるのか、楽しみです。

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