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ヴィパッサナー1日瞑想会

昨日はヴィパッサナー瞑想一日瞑想会に参加してきました。

この瞑想法は、本やDVDで独習でやっていたのですが、一度本物のインストラクターの指導も受けてみたいなと思って参加しました。
インストラクターは、グリーンヒル瞑想研究所長の地橋秀雄先生でした。
物腰が柔らかく、温和な感じのお人柄で、指導もダンマトーク(法話)すごく興味深くてよかったです。

地橋先生による初参加の人ばかりを集めたレッスンというのもありました。
ヴィパッサナー瞑想には大きく『歩く瞑想』『立つ瞑想』『座る瞑想』というのがあって、初心者はまずしっかりと『歩く瞑想』から練習するといいのだそうです。
座る瞑想よりも動きがダイナミックで、身体感覚が取りやすいからです。

ヴィパッサナー瞑想の目的は、妄想を離れることです。
もう皆さんよくお分かりだとは思いますが、妄想は離れたいと思ってなかなか離れられるものではありません。
人は、何を見ても何を聞いても何かをイメージしたり、解釈したり、反応したり、勝手なストーリーを作っていってしまうものです。
だったら、他のこと(体の感覚)などに一瞬一瞬注意を釘付けにしてしまおうというのが、この瞑想の目的です。

今経験していることを一瞬一瞬気づいて確認していく・・・これを日常行えるようになるために、まずは歩行瞑想という形でトレーニングしていきます。まさに「今ここ」に戻るためのトレーニングなのです。
ゆっくりと歩きながら、足が床から離れた感覚、床に着地した感覚、踏みしめて足裏に圧がかかる感覚に集中し、それを心の中で実況中継していきます。
「離れた」「進んだ」「着いた」「圧」「上がった」など、短い言葉で確認していくのですが、この作業を「サティ(気づき)といいます。
そのあいだに他の刺激、例えば音とか、何かが目に入ったりしたら、その都度「音」「見た」などとサティをいれていきます。
何か考えが浮かんだら「妄想」とサティをいれて、妄想をストップさせます。
とにかく、一瞬一瞬自分に起こることを観察していくのです。

集中力が高まっていくと、だんだん微細な感覚に気づくようになっていきます。
足が着地してだんだん足が圧でつぶれていく感覚、足が離れた時にじわ?っと血の気が戻っていく感覚など。
初心者は、毎日10分この歩く瞑想を練習してください、と先生に言われました。

今回体験してみて思ったのは、身体感覚に集中するというのはある程度馴染みのある経験だったということです。
バレエ、茶道、太極拳、アレキサンダーテクニック、歌う、楽器を弾くなど、今までに行ってきたどれもが身体感覚に集中するというトレーニングになっていたようでした。

座る瞑想は、呼吸の動きに注目します。息を吸ったときお腹が膨らむので「膨らんだ」とサティを入れ、吐いたときお腹が縮むので「縮んだ」とサティを入れます。
座る瞑想になると観察する対象(呼吸)が地味になるので、やはり妄想が始まりやすい、もしくはすぐに眠くなってしまいます。
「妄想」と「眠気」が瞑想を邪魔する2大要因です。
眠くなってきたら「眠気」とサティをいれてまた呼吸に意識を戻すようにすると、眠気から解放されます。
体の動きや呼吸、身体感覚を観察することを「身随観」といいますが、これができるようになるだけでもかなり人生が変わってくるとのことです。
「落ち着いてくる」「所作がシンプルになる」「忘れものやうっかりミスが減る」など、行動の自己制御能力が大きく上がります。

しかし、本当に制御するべきものは「心」ですので、心の微細な動きにサティを入れていく「心随観」の方が大切だとのことです。
いつも言うように、私たちはあるがままをただ見たり聞いたりはしていません。見たもの、聞いたものに心がいちいち反応して妄想して、そこから問題や悩みを生み出します。

ブッダは、「人の苦は、事象そのものから来るのではなく、人間の頭の中で生み出されるものにすぎない」と説きました。
ヴィパッサナー瞑想は、事象そのものと、頭の中で生み出される概念や妄想をしっかりと区別することで、人生の苦から解放されていくためにしっかり体系化されたシステムだと思います。
「心随観」、これも馴染みのものでした。
いつもここで何ども言っている「思考観察」と、「自分の本当の感情に気づく」というのがそれにあたります。

私は高校の授業のとき、まず最初に3分間瞑想をしてから授業をはじめています。
瞑想の目的は頭の中のおしゃべりを止めて、頭の中をすっきりクリア、静かな状態にすることで、頭や心をお掃除していく訓練だということを生徒には説明してあるのですが、おおむね生徒たちは気に入ってやっているようです。

ある日、ある生徒が「先生、私はこれ簡単にできるねん。ずっと頭の中静かで、何も考えてへん」と言ってきました。
こちらから見ていて瞑想がうまくいっているかどうか、だいたいわかります。瞑想が最初からうまくいくタイプと難しいタイプというのもあります。

この発言をした女の子はどちらかというと瞑想が難しいタイプだと思っていたので、「へえ、それはすごいね」と言いながらも半信半疑。
そのあとの発言、「だから、瞑想の時間がいつも長くてしかたがないねん」、というので、(ああやっぱりね)と。
「じゃあ、瞑想が長いな?って思ってたんじゃないの?それが思考だよ」と言ったら、「ああ、ほんまや?。気づかなかったわ」と笑っていました。
(完全に無思考になったら、時間という感覚も消えてしまい、長いと感じることはなくなるでしょう!)

この生徒が教えてくれたことはとても意味深くて、我が強いと(自分を客観視できていないと)、私たちは思考していることにさえ気づかなかったりします。

ほとんど脳が眠った状態でいるんですよ、本当に。
ヴィパッサナー瞑想で一瞬一瞬現実の事象を観察しつづけることで、脳が「目覚め」ていくことができるのですね。
地橋先生は、嫌だと思っている満員電車通勤も、単調な仕事も、ヴィパッサナー瞑想のトレーニングの時間だと思うと楽しくてしかたがなくなりますよ、とおっしゃっていました。
「妄想」という敵を見つけたら、「妄想」とラベリングして敵を打つ、みたいな感じで、ゲーム感覚で楽しめたらいいかもですね。(注:ここでいう敵はゲームの中のキャラクター的なものなので、決して悪者扱いして嫌わないでくださいね?)。

ちょっと難度をあげて、敵のキャラクターをさらに細かく分類できたらなおよしです。
「迷い」「怒り」「欲」などの的確なサティを入れていくと、定番になっている自我の反応パターンが根底から変わっていきます。(小池龍之介さんは、とりあえずこの3つに分類できたらいいよと著書でおっしゃっていました)。「自分」を浄化する坐禅入門[増補改訂版]

そしてこの瞑想テクニックが目指す究極の世界はどういうものかというと。。。
「知覚された瞬間に、その世界が崩壊する。異様な鮮明さで出現した世界が、その瞬間に崩れ去っていく。一秒間に数十回も発光するストロボのような速度と鮮明さで、そうした光景が目の当たりとなる時、安定して存在していた世界は、思考がまとめ上げた概念の世界であったことが直感されるのです。恐るべき速度で生の瞬間と滅の瞬間を無意味に繰り返している無常の世界。その心の姿が露呈された時、瞬滅する事実の世界には何一つ執着できるものなど存在しないことが了解されるのです。」(地橋秀雄『ブッダの瞑想法』 p.116)

つ、つまり、「この世は幻想」だということがわかってしまうというわけですね!!!
まあ、今回も思いましたが、「奇跡のコース」も原始仏教も、インド哲学(アドヴァイタ)も、入口が違うだけで、すべて繋がっているんだなあと。

2012年もあと少しですね。

地橋秀雄先生の著書
これは初心者向け

こっちは理論がしっかり書かれている。

DVDつきはこちら

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