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妹の神秘体験

今日は、私の妹が5年ぐらい前に体験した神秘体験について書こうと思います。
先日インタビューして許可をもらってきたので、妹の代筆という形でレポートします。
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私は5年前のその時無職で、プチ引きこもりな生活を続けていて、「このままじゃだめだ」というひけめと焦りで苦しんでいました。
10代の頃からもともと自己否定感が強く、20代の初めぐらいから自己肯定に役立つ本を読んだり、心理学系やスピリチュアル系のセミナーに通ったりしていたけれど、なかなか今の自分にOKを出すということが出来ずにいたのです。
プチ引きこもりをしていた時、なんとかこの状態から抜け出そうと、ある心理学系ワークショップに参加し、そこで両親の中に自分が何を見ているかを探り、それを自分の無意識の中に見つけるというワークを教えてもらいました。
家でそのワークをしていたとき、自分が見る父親のイメージの1つに、強い孤独感を感じました。そして、それが自分の中にもあるのかと意識を向けた瞬間に、抑圧していた孤独感が一気に噴き出してきました。
その孤独感をしばらく感じ切ったあと、突然「自分の中には男性的なエネルギーと女性的なエネルギーが両方あって、完全で、何も欠けていないんだ」ということが直観としてわかったのです。
そしたら急に身体の中をめまぐるしく電気が走って、どんどんその電気が回りながら上の方に上がっていく感覚があって、そのまま自分も上へ上へと上昇していく感覚になりました。
それは夜中で、そのままベッドに寝転んだら、身体が上昇していく感覚と、自分が身体を抜けて広がっていく感覚が続きました。
そして下を見ようと思った瞬間に元に戻りました。
そのまま眠りに落ち、翌朝目を覚ました時は、まったく思考がなくなっていました(無心、無私の状態)。
それからの生活行動は、すべて何かに導かれて動いていく感覚でした。
何をするときも、例えば今までに面倒くさいと思っていた洗濯を干すなどの行為も、言葉では説明できない至福感、得も言われぬほどの喜びに満たされていました。
家族で食卓を囲んでいるときも、その空間は今までに感じたことのない至福と温かさで満ち満ちていました。
テレビを観ていても、今までは不快だと思っていたシーンやニュース、人が出てきても、ただただ美しく愛おしく、不快という感覚は全く消えていて、不思議な感覚でした。
外出しても、道行く人がすべて神さまと感じられ、感謝と愛の気持ちでいっぱいになり、すべての人のところに歩みよって「ありがとう!」「ありがとう!」と声をかけたり握手したりハグしたい衝動がありました。
そんな状態が数日続き、ある日スポーツジムに行きました(引きこもり生活の中で唯一続けていた活動)。
そこのトイレで出会ったおばさんの行為(どんなことかは覚えていない)によって、不快な気持ちが湧いてきました。
その当時私にはまだ、こういう意識が覚醒して見える現実が変わってしまう体験に対する知識がほとんどなかったので、その不快な気持ちが出てきたときに、「この天国のような状態からまた引き戻される!!」という不安が湧いてきました。
そこからどんどん思考が出てきて、その思考を「至福感を邪魔するもの」として恐れるようになりました。思考に対して『悪魔のささやき』とラベルを貼ったのを覚えています。
だんだん『悪魔のささやき』を排除しようという新たな思考が芽生えてきて、それがどんどん増えてきて、元の意識状態に戻っていきました。
私の場合、突然そのような体験をしたために予備知識がなかったので、元に戻ってしまったことで「自分はまだ資格がないんだ」とまた自分に「ダメだ」というレッテルを貼ってしまい、また思考まみれに戻って苦しみはじめました。
とはいえその経験で得たものは大きく、今までは悩みや問題は状況が作るものだと思っていたのが、思考がなくなる体験をして、問題など実際は何もなくて、すべてが思考が作り出した物語だったのだ、見るもの聞くもの、すべては思考というフィルターを通して認識していたものだったのだ、という気づきを得ることができ、以前よりも問題を客観的に見つめることができるようになりました。
今になってやっといろんな人の目覚め体験談とリンクしたり、エゴや潜在意識のしくみ、現実と非現実などの知識も増え、その当時の経験がかけがえのない素晴らしい体験だったと再認識できるようになりました。

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その時の体験、無理やり言葉にするとこんな感じだそうです。
私はその当時東京に住んでいて、妹がそういう体験をしたことを後でメールで書いてよこしてきたのですが、私自身もそういった意識のシフト体験にその時はまだそれほど関心もなく、また妹のような身近な人にもそういうことが起こるものだという知識がなかったせいか、その時はあまり内容に共感しませんでした。
確かその直後ぐらいに実家に帰省した時、身内の誰かが自分の悩みをシェアしていた際に、妹が「物事にはすべて表と裏があって、人間はそのどちらかを見て『これは問題だ」と思うだけで、神の視点から全体を見ることができたら問題なんてなく、すべては完璧なんだよ!」と熱く語っていたのを最近思い出しました。
その時は、「なんか急に悟ったこというようになったなー」ぐらいにしか思っておらず、「言いたいことはよくわかるけど、じゃあどうやってその神の視点から見るんだ!?それができたら人間苦労ないけどね」と、次元の違う話としてスルーしていました。いやいや、本当に神の視点を体験していたとは。。。
それで、最近は一気に「意識のシフト」について関心が増えて、今頃になって妹の体験談もありがたく貴重なものと評価するようになったのです。
今まではスピリチュアルや非科学的な話をセミナーなどで人にするときも、なーんとなく抵抗感があっていつもどこか遠慮がちだったけど、妹のおかげで真理に対する信頼度がぐんと増し、人に伝えていく自信も増え、とても助かっています。
この妹の体験からもわかるように、このような意識のシフトは、突然誰の身にも起こります。
長年精神的な修業を積んで、すべての欲や罪悪感、怖れを解消した後に訪れるものではありません。
あなたの身にも突然起こることがあるかもしれないので、こういう知識を持っておくのは損はないと思います。
そして、これも何回か書いていますが、この体験レポートからもわかるように、「これはよい、これは悪い」と判断するのは思考のお仕事で、その思考がなければ、この世にあるすべてにいい、悪いもなく、すべてがあるがままで完璧なんですよね。
だから思考まみれの人ほど問題(苦しみ)が多く、思考から自由な人ほど目の前の現象に振り回されることなく幸せや愛や満たされ感を感じています。
瞑想や呼吸法がよく勧められるのは、思考を止め思考から自由になるためです。
一日に2万、3万という思考をする私たちにとって、思考を止めるというのは恐ろしいことです。
しかし絶え間ない思考活動(=レッテル貼り)は私たちを永遠に真実から遠ざけてしまいます。
思考を止めるのが難しければ、まずは思考を「観察」することから始めましょう。
思考にとらわれるのではなく、思考にまみれるのではなく、思考を「観察」するのです。
対象(人、もの、出来事)にどんなレッテルを貼ったかを観察し続けます。
レッテル貼りをしていることに気づけば、レッテルを貼らないという選択もできるようになります。
人生を完璧にする唯一の方法は、すべてのものを、ありのままで完璧だと受け入れることなのです。

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