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死は遠い未来に設定されていることではない

前回のつづきで、今日もテーマは「死」です。
こういうテーマを臆することなく扱えるようになったところに、大きなシフトを感じます。
まずは、愛読している賢者テラさんのブログ、『神の眼』より引用です。
 空が腑に落とせた人と、そうでない人との違いは?
 サーカスで綱渡りをする芸人に例えてみよう。
 前者は、綱渡りの綱のはるか下に、落下時に受け止めてくれるネットがあると分かっている。
 また、自分の腰には命綱がついている、と自覚している。
 だから、落ち着いて綱渡りに挑める。
 しかし後者は、下にセーフティネットがあることを知らない。
 また、腰に命綱がついていることも把握していない。
 だから、まさに恐る恐るの、命がけ。
 一歩踏み外したら、人生終わりだ、と本気で思っている。

「空が腑に落とせた人と、そうでない人との違いは?」
というところは、
「生への執着が取れた人と、そうでない人」、「死の怖れから解放された人と、そうでない人」
などと言い換えてみるといいかもしれません。
続いて、読むたびにテンションが上がる津留晃一さんのメッセージ集からの引用です。
21世紀の新人類と、我々旧人類の最大の違いが「死」に対する価値観の違いです。「死」はもっとも忌まわしい ものという考え方から、「死」は最も素晴らしいもの、とその価値観が反転していくことでしょう。ここで少しの時間「死は最高の人生の祝福」という言葉に意識を止めてみて下さい。そしてあなたの中で生起してくる感情と想念をしばらく感じてみて下さい。果たしてどんな感情が起きてきたでしょうか。それはあなたにとって心地よいものでしょうか、それとも恐れの感情も入っていたでしょうか。
 死とは魂の飛躍の瞬間であり、急激な魂の成長が、もはやこの肉体に留まり続ける事が不可能となって起きてくる現象であると知った時、あなたの中の価値体系が全て崩壊してしまうかもしれません。どんな死に方であれ、例外なしに死とは魂の急激な成長の時であるなら、葬式は結婚式以上の晴れやかな儀式となるはずです。もし葬式をするならばの話ですが。
 「死が魂の最高の祝福である」と聞かされたとき、そんな考えが広まったら自殺者が増えてしまうとか、死を軽 んじてしまう、と不安を感じる人も多いと思います。死を軽んじてしまうオカルト的宗教が非難されたように「死は素晴らしいことだ」という考え方は危険思想 と判断されて当然です。ですが時代は今その方向へと進んでいます。誰も死を恐れなくなる方向へ。
 「死」を嫌う価値観が、死にたいする恐怖を生み、強烈な死に対する恐れが「死」そのものを引き寄せ続けまし た。こうして大量の人の「死」という末期症状へと人類は暴走を始めています。人類の一人ひとりのささやかな「たりない」という想念が、集合意識の「たりない」という想念を形成し、地球が今急激な資源枯渇化へと突き進んでいるように・・・
(以下つづく)

最後に、インドの偉大な哲学家、教育者であるクリシュナムルティの言葉です。
日々死ぬこと、あらゆるものに対して毎分ごとに死ぬこと、数多くの昨日に大して、そしてたった今過ぎ去った瞬間に対して死ぬことがいかに必要であることか!
死なしにはいかなる更新もなく、死なしにはいかなる創造もない。過去の主にはそれ自体の連続性を生じさせ、そして昨日の心配事は今日の心配事に新たな活力を与える
メアリー・ルティエンス著 大野純一訳 『クリシュナムルティの生と死』より

エゴの最大の勘違いは、一瞬一瞬が連続性を持って流れているという見方。
実際は、毎日私たちは生まれ変わっている、いや、毎分、毎秒、毎瞬ごとに死んでは生まれ変わっているのです。
つまり、「この瞬間」しか存在しないってこと。
だから、一瞬一瞬パソコンディスクを初期化していくように、すでに体験したもの(過去)をすべて消去していけば、
あらゆる葛藤から解放される生き方になるわけなんですねえ。。
まだまだつづく(・・かもしれない)
12月のイベントのお知らせは昨日の記事に載せています♪

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