ブログ

今週はサットサン・ウィークでした

いろんなタイプのサットサンがある

今週は二つのサットサンに参加しました。
「サットサン」とは、「真理とともにある」という意味(元はヒンズー語)で、真理を体現する教師(スピリチュアル・ティーチャー)のもとでの集い、あるいはそこでの問答をいいます。

日曜日は阿部敏郎さんのいまここ塾、そして昨日はスペースまほろばの中野真作さんのお話会に初参加してきました。
お二人ともご自身の大きな内的変容の経験を元に、多くの人の内的探究の旅のサポートをされていて、どちらもノンデュアリティー(非二元論)、つまり、「自分と他人」、「主観と客観」、「環境と自分」、その他もろものの区分というものは本来ないという、インドのヴェーダンダをはじめ、仏教(禅やチベット仏教)、その他のスピリチュアルの核心をなす教えを話されます。
阿部さんの「いまここ塾」は100名ぐらいの参加者だったかな?相変わらずの阿部節炸裂で、笑いの絶えないアクティブなサットサンでした。

一方、中野さんのお話会は、少人数でもっとアットホームな感じ。
中野さんは“癒し”という言葉にぴったりの、静かで温和な印象の方で、その中野さんを中心に参加者どうしが自由に交流するのですが、初めての参加の私も緊張することなく、その雰囲気にくつろぐことができました。
フリートークの会なので、誰も何も語らないいわゆる沈黙の時間というのもけっこうありました。
中野さんは、「静寂の時間も楽しみ味わいましょう」とおっしゃいましたが、その時に多少のプレッシャー(何かしゃべらないといけない)というのが自分の中に起こるのを発見しました。
“沈黙”というコミュニケーションをまだ自分に許してなかったようです。。。

さて、ある程度こういう集いに顔を出すようになってノンデュアリティーの教えに馴染んでくると、「ああ~また例のそれね」と感じになりますが、仮に何も知らずにこういう集いに参加したらいきなり、
「あなたは本当はいません」←(あなたが自分だと思っているあなたは存在しない、という意味)
とか、
「他人と思っている目の前の人は本当はあなた自身です」
とか、
「あなたが現実だと思っているものは、すべて錯覚です。私たちは集団催眠にかかっています。」
なんて話が始まったら、「この人おかしいんちゃう!?そしてそれをまともに聞いているこの人たちも大丈夫かあ!?」ってなるかもしれませんね(笑)。
実際にスピリチュアル・アウェイクニング(覚醒)を体験しない限り、何度同じような話を聞いても何冊本を読んでも頭で理解できる内容ではないのですが、
それでもなんとかそのメッセージのエッセンスに、エネルギーに同調したいという思いから、多くの真理の探究者たちはサットサンのはしごをしたり、
スピリチュアル・ティーチャーたちの本を次から次へと読んだりします。
または、そういう知識を一切しらずに、突然明らかな覚醒体験をして、「あれはいったいなんだったの!?」というのを確認するために探究を始める人も少なくないようです。

悟りとは、パネルを一つ一つ開いていくこと

ところで、少し前私は、覚者といわれる人たちや人気のスピリチュアル・ティーチャーたちと自分を比較して、自分のまだまだ悟りには程遠い部分にフォーカスしすぎて、「こんな私が厚かましくも癒しとか意識の目覚めについて語ったり、それで仕事をしてもいいのだろうか?」と、ちょっぴり癒しの活動に弱腰になっていました。

そんなある日、賢者テラさんのブログ記事でその時の私にぴったりのメッセージを読みました。
人生とは、パネルクイズ・アタック25!

それは、人気の長寿番組『パネルクイズ・アタック25』をたとえに使った説明なのですが、みなさんご存知ですよね?この番組。
パネル全体がある画像になっていて、最初はすべて隠れている。そして、一枚一枚パネルが開いて、画像がだんだん明らかになっていく前に画像を当てるというクイズがありますよね。
テラさんの説明によると、「私とはだれか」「この宇宙はどうなっているのか」「愛とは何か」、すべてがわかっている状態が一枚の画像になっていて、
完全に覚醒した状態というのは、このパネルが全開している状態のことをいいます。

人生が始まるとき、まずパネルがすべて閉じられ、画像が隠されます。そして私たちは人生の様々な経験や気づきを通して、「人生とは」「愛とは」「真の私とは」というものを発見していくのです。この発見していく過程こそが、パネルが一枚一枚開いて画像が顕わになっていくプロセスなのです。
みんなよりパネルが開いた状態にいる人たちが、古今東西スピリチュアル・マスターとか、師(ティーチャー)とかグルと呼ばれる人たちの状態であり、
それぞれがそれぞれの言葉でその画像を描写するのを聞いて、私たちはその画像についてイメージを膨らませるのですが、
テラさんによると、あまりにもパネルが開きすぎた人のメッセージは、一般大衆に受け入れられにくいのだとのこと。

確かに、ガンガジやエックハルト・トール、その他覚者と呼ばれる人たちのメッセージは、ある程度パネルが開いた人にしか支持されず、大多数の一般の人にとってはちんぷんかんぷんでしょう。。。

『大衆に受けるためには、人類全体の平均的なパネルの開き具合を、ちょっとだけ上回ること。
それが、世間的な成功をするのにちょうどいい目安になっている。
だって、近いレベルの大勢にとって分かりやすく、安心だから。』
なのだそうです、テラさんによると。
阿部さんとか雲黒斉さん、賢者テラさんのブログが多くの人の支持を集めるのはそういうことなのかな。

それで、私自身が思ったのは、自分が平均的なパネルの開き具合を上回っているかどうかはわからないけれど、少なくともここ数年で何枚かパネルを開いてきたという自覚もあり、まだあまり開いていなかった少し前の自分と、今同じ状態にある人も多く存在するに違いなく、そういう人たちに対して何かメッセージを発信したり、癒しのお手伝いをすることはできるのかな、ということです。
今の仕事をしていくのに、別に完全に開いている必要はない(明らかな覚醒体験をしていなくてもいい)、とわかって、少し自信を持てるようになりました。

ということで、私も焦らずのんびりとパネルを開いていきたいと思います。
(・・・といっても、自然な流れに任せるだけなのですが)。

カテゴリー
最近のブログ記事
キーワード検索
月別アーカイブ