“悟り”は特別なことではない
前回の記事のコメントで、悟りを開くってどういうことですか?非二元って?というご質問をいただきました。
今までもちょこちょこ書いてきたつもりではありますが、せっかくのリクエストですので自分なりに悟りについて今思うことを書いてみようと思います。
(ま、私が書くっていうのも若干役不足の感じがありますが、、、)
9月6日のイベントのテーマが「悟り」なので、ちょうどよい機会かと!
さて、私が最初に「悟り」(のようなもの?)を意識したのは、たぶん中学生か高校生ぐらいだったと思います。
思春期まっただ中ですね。
学校のこと、友達のこと、勉強のこと、将来のこと、親のこと、、いろいろ悩んでました。
同じ人間でもイエス・キリストやブッダのような人が世の中にはいて、欲を手放して、あらゆる悩み苦しみから解き放たれていることもあるのかなあ、そうなれたらどんなに楽だろう、、、
なんてことを漠然と思っていました。
一般的にはどうなんでしょう、(悟って)聖者になる運命の人、凡人のままで終わる運命の人というのはもう決まっていて、聖者になる運命の人は世の中にほんの一握りだ、、ほとんどの人は凡人のままで生涯を終えるんだろう、というイメージが多いのでしょうか。
もちろんそういうイメージもなくはなかったけれど、ある時本を読んでいてふと、聖者と凡人という区別はなくて、本人が覚悟して欲を手放していけさえすれば、
いつでもその域に達することは誰でも可能、ただその決意があるかないかだけだ、と思ったのを思い出します。
その時何を読んでそう思ったのかすっかり忘れてしまいましたが、悟りというのは何も特別なことではない、、
自分でもその気になれば、その域(一切の悩み、不安、迷いから解放された煩悩のない世界)に達することはできる、と思ったのです。
でも、それと同時に、自分を取り巻く大人たちはみんな欲と煩悩にまみれていて辛そうだけれど、でも“それなり”にその人生というドラマを楽しんでいるみたいだから、
そこから自分だけ抜けて違う世界観を生きるのは、怖いなあ、煩悩と欲にまみれた人生ドラマも味わってみたいなあ、という願望も交叉していたのを覚えています。
今思えば、なかなかいい線の気づきもあったようで(笑)。
瞑想を覚えて朝夕せっせとやっていたのもちょうどその頃です。
その頃の私にとっては、「悟り」はそれほど遠い世界のことではなかったような気もします。
でもそれも束の間、大人になるにつれいつの間にか欲と煩悩にまみれた人生ドラマの中にどっぷり飛び込んで浸っていました(笑)。
「もっと立派な人間になりたい」
「成功したい」
「きれいになりたい」
「人からちやほやされたい」
「あれ欲しい、これ欲しい」
「ああすればよかった」
「能力を磨かなくては」
「許せない」
「愛されたい」
・・・。
そして、私が再び悟りというものに意識を向けるようになったきっかけは、4年ほど前の「ア・コース・イン・ミラクルズ」との出会いです。
(それ以前のスピリチュアルな学びは「悟り」というよりは、「この煩悩の世界の中にとどまりながら、どうやってよりハッピーに生きられるか」ということに役立てようとしていました)。
「ア・コース・イン・ミラクルズ」では、「この世は、エゴ(自我)が見ている夢である」「私たちの悩み苦しみはすべて、自分が世界から分離している存在だと錯覚していることから起こっている」と教えています。
そこから、「え、夢ってどういうこと?」「分離していない存在って?」
という風に、今までに「当たり前」と思っていた認識がガラガラ崩れはじめたのです。
さらに、悟りが身近に感じられるようになったのが、あるアクシデントを体験をした人たちの話を聞くようになってからです。
(この方の体験とか、この方とか、この方とか、ついでにこの人も・・・)
彼らが共通して体験したのは、さっきまで〇〇さんという自我と同一化して3次元世界に生きていたのが、なぜか突然その自我の意識から離れて、自分が24時間夢を見ていたということ、現実を生きていなかったということ、世界と分離していなかった、ということをはっきりとわかってしまう、という超リアリティの体験です。
目覚め(覚醒)体験とか悟りの一瞥などと呼ばれる体験です。
それまで私は、一切の欲と煩悩のない世界に達するには、それなりの苦行とか、ステップを踏まないといけないと思い込んでいました。
そういうステップを経て、見るからにだんだん凡人じゃなくなってきて、聖者に近づいていくものだと。
ところが、彼らはそのステップとか苦行とかそういうものをすっ飛ばしていきなり人生全体の真実を垣間見たらしいのです。
まあ求道過程にいる場合もありますが、そればかりじゃない。
しかも、皆さんどう見ても普通の人で、全然聖者っぽくない(笑)。
「変な夢でも見たの?頭大丈夫ですか?」って言いたくなるような虚言・妄想癖タイプでも決してなく、とっても理性的な方たちで信頼もできます。
そう、彼らがいたって普通の?人たちであったおかげで、私の中の「悟り」のイメージがガラッと変わったのです。
そんなこんなで「悟り」がより身近に感じられるようになるにつれ、自分のアンテナも変わったのでしょう。
世の中ではそういう体験をした人がけっこういっぱいいるということがわかってきました。
いろんなケースを見聞きしていてわかったのは、
〇そういう覚醒体験を一度や二度したからといって、それ以降一切の欲や煩悩から解放されるというわけではない。
〇ただ体験後は、この世(仮想現実)のしくみ、目覚めるとどうなるかを伝えていく役割が始まる人は少なくない。
〇覚者のように悟りの境地に留まり続けるには、そういう体験をした人もしてない人も、日々人生をありのまま観察して、小さな悟り(気づき)を積み重ねていく必要がある。
地球全体のアセンションというのがあるのかないのか、昨今どうも多くの人が自ら自分にかけているマジックのネタをばらし、夢から目覚めようとしているようなのです。
つづく
◎スペースまほろば&クオレヴォーチェ コラボ企画
~「”悟り”で楽に生きよう~こころが軽くなる目覚めと癒しのお話会&コンサート」~
日時:2014年9月6日(土)13時30分~16時30分
会場:星誕音楽堂 Googleマップ
〒576-0016 大阪府交野市星田1-36-1
JR学研都市線 星田駅 徒歩10分(京橋から星田まで快速で18分)
参加費:事前振込6,000円(当日7,000円)
定員:30名
「悟り」「目覚め」・・・なんか難しそう、、、自分には関係ないかも、、、そんな方にこそぜひ参加していただきたいワークショップです。お話やプログラムの内容そのものよりも、ただその場にいるだけで、今までに味わったことのないような安心感・ワンネスの感覚に包まれるのを感じていただけると思います。
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