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調和していることと調和的であろうとすることは全く逆

調和的であることと、調和的であろうとすることは全く逆です。

調和的な人のエネルギーは調和していますが、調和的であろうとしている人のエネルギーは調和していません。

「調和が大事!」といって調和的であろうと頑張っている人は、おおむね優しくて穏やかな人たちで、やっていることも良いことばかりですが、エネルギーははっきりいってとても気持ちが悪いです(わたしもかつてはそのエネルギーを出しまくっていた一人です)。

自分の中の矛盾に気づかないように、一生懸命にその矛盾を抑圧しているのがエネルギーとして発せられます。

そして調和的であろうとすればするほど、自分の中の矛盾が強調されるようなことばかり起こります。

調和的であろうとする、というのは人間のエゴなのです。
調和していないから、調和的であろうとするのです。
一見害がない人に見えるので困るのですが(上に立つ人、世間的に立派とされる人に多い)、前頭葉磁界が出まくっているので実はとても有害。

調和している人は、調和的であろうとすることを手放しています。
自然に委ねている。あるがまま。今ここ。

そうすると、ものすごくピュアなエネルギーになります。
赤ちゃんは、泣きたいときに泣いて、笑いたいときに笑って、嫌なものは嫌だといって、さわりたければさわって、動きたければ動き、眠りたければ眠ります。
矛盾がないからエネルギーが気持ちがいい。

動植物も同じく。

大人の人間だけが、調和的であろうと頑張っている。

今の時代というのは、3次元的な分離の世界が収縮していき、そこへ高次元のエネルギーが流れ込んできています。
ですから、多くの人は、3次元的な分離のタイムラインと高次元のタイムラインをいったり来たりしています。だから、ある時期(高次元のエネルギーに乗れるまで)は不安定・混沌としているのがあたりまえ。

高次元のエネルギーに乗れた人というのは、3次元的な常識をおおむね手放せた人なのですが、多くの人にとって困難なのは、常識というのは、生活の隅々にしっかりと根付いていて、みんなが「良いもの、正しいこと」だと信じきっているため、それを手放す必要があるということにさえ気づけないのです。

あと、まだまだ高次元のタイムラインに乗っかれた人が少なく、高次元のタイムラインに乗れていない人のなかでは多くの人が調和的であることを大事にしているため、まだ統合されていないけれど不自然に調和的であろうとしない人たちはものすごい迫害を受けているようにみえます。

いずれにしても早いとこ内面的な調和に重きをおいて、高次元の調和のタイムラインに乗っかっていくのがいいかと思います。

本当に内側が調和したら、恐れや不安がないのでとても楽です。

出会う人、周りの人も、調和している人ばかりで一緒にいても疲れないし、心地がいいです。

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