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誰も、他人に評価されたくない

「採点のジレンマ」にも書きましたが、もう成績つけるのが嫌だ、という気持ちと、学校で義務付けられているからつけなければならない、をどう折り合い付けようかを最近ずっと悩んでいました。
それで今日は授業の時、生徒にこういう話をしました。

「私は昔は成績を付けるということに何の疑問も抱かなかったけれど、最近教師が自分の基準で評価を付けるのはおかしいと思うようになった。それでも学校では成績つけることを求められるから、どうにか評価を出さなくちゃいけない。
それで最近わかったのは、点数というのは、生徒につけられたものではなく、先生が自分に対してつけるものだ、ということ。これは音楽だけではなく、どの教科にも言えること。どれだけわかりやすい、興味深い授業をしているかを先生自身が自分で評価しているだけだから、あなたたちは点数で自分の価値を決めなくてもいいんだよ。この授業も成績を出すけれど、これは私自身の評価であって、あなたたちの評価ではないからね」

そう話し出すと、生徒はまるで久しぶりに新鮮な空気を吸ったような顔になるんですね。

普段は全然人の話を聞こうとしない生徒も、この時ばかりは、真剣に耳を傾けているんです。
そして、しばらくの静寂の後(何か考えている様子)、
「そうだよね!僕も内心そう思ってたけど、そのとおりやんな!」
「そうそう、成績を気にしていると、学ぶ意欲も失せるねん」
「じゃあ、今度のテスト(歌唱実技)も、自分の評価と思わなくていいってこと?
音楽は、音を楽しむって書くんやから、楽しく歌わなくちゃ!」
など、口ぐちにイイこというんです。

そして今日の授業で、みんながどれほど楽しく、開放的に、そして集中力をもって授業に臨んでいたかは、
言うまでもありません。

こんなにラポールを築けたことは、いまだかつてなかったかも・・・?
成績という呪縛からちょっと解放されたとたん、こんなことになるのかと私自身もびっくりでした。
話をして、私自身もどれだけ気が楽になったことか。。。
思えば、彼らはみんな、去年より上達したとか、達成目標までまだまだだ、とか、自分たちでちゃんと評価しているんです。
批判やアドバイスが欲しいときは、それを求めてきます。
それ以上は、こちらの押し付けに他ならないんだ、ということを、私自身もやっと学びました。

さて、こちらは最近私がものすごくインスパイアされた教育関連の本。

アメリカに実在する、サドベリー・バレースクールのセンセーショナルなレポートです。
この学校はいまから二千年以上前、古代ギリシャの哲学者、アリストテレスがその著『形而上学』の書き出しで述べたある前提、つまり「人間とは生まれつき好奇心を持つものである」を土台として出発しています。この言葉は、人間とはその生の固有の一部として、常に学んでいく存在である、との意味合いを含んでいます。
それはまた、自分に備わったナチュラルな傾向に従い、自分のしたいことを毎日欠かさず続けることで、子どもたちは学んでいく―ということでもあります。
この学校に入るやいなや、年齢に関係なく、子どもたちは自分自身の主人公となるのです。自分自身に責任を持たされるのです。誰のものでもない自分の人生のコースを左右する決断を自分で下していくのです。
『「超」学校ーこれが21世紀の教育だ』序文より

サドベリースクールの教育理念はいたってシンプル。
その中でも、「評価しない」ということは徹底しているそうです。
まあ、アメリカ生まれのシステムが日本の文化・土壌にどれぐらい適合するかというのが疑問(日本のサドベリースクールも発展途上みたいだし)ではありますが、教育を見直す上で参考になることは大いに、大いにあると思います。
勧めて読んでくれた人が、「子育てにも役に立つ情報満載だった!」と言っていました。
ぜひ多くの方に読んでいただいて、本来は誰も喜んでいるはずのない「成績」や「評価」というものから、
そしてそこから生まれる「他者との競争」や「承認欲求」から、日本の子どもたちを一緒に救い出していきたいです!
サドベリースクール(2012年9月4日の記事)

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