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自我

前回の続きです。
「自我(エゴ)」の働くしくみ、正体を知ることは、少なくとも私にはとてもとても役に立ちました。
でも、説明するの難しい~。。。
「自我」はなんといっても、正体を暴かれることをことごとく嫌うので(それについては後ほど書きますが)、あまりおおっぴろげに語られることはありません。
だから、私たちはいつまでも自分が何者かわからず、苦しむのですね。。。

そんな私たちは普段、ほぼ「自我」の意識で生きています(ほぼ無自覚ですけど)。
自我の意識をもう一度確認すると、

  • 自分を肉体だと思っている。
  • 分離した存在だと思っている。
  • 不完全な存在だと思っている。
  • だから、不十分で、罪深くて、さびしくて、無価値感があって、死ぬのが怖い。
    心配だらけだし、恥ずかしいし、腹も立つし、臆病者。

しかし、「本来のあなた」はそうではありません。
「本来のあなた」は、無限で、愛そのもので、喜び、エクスタシーに満ち溢れています。生まれることも死ぬこともない存在です。
「自我」はにせものの自分です。
ステージやドラマの中で演じている役みたいなものです。
普通の役者と違うのは、役を演じているということを忘れていることです。
なぜ忘れる必要があるのでしょう?

それは、能力を隠し、制限を与え、本来の自分(無限の存在)とは正反対の存在だと信じ、「人生ゲーム」に参加して、
喜びや楽しみ、やりがいの発見、成長、経験、可能性の拡大、ということを経験してみたかったからです。

自分が「制限された存在」だとリアルに信じられるほど、この3次元世界が現実だと信じられるほど、「人生ゲーム」のプレイを楽しめます。←本来の自分の視点で。
障害だらけで、満足することなく、落ち着かなく、思い通りにいかないのが、この「人生ゲーム」です。

人生ゲームの第1段階は、どんどん制約を厳しくして、自我(制限されたあなた)を本当のアイデンティティだと信じ込む段階。
自分を完全にするために、欲望を持ち続けます。挑戦的です。
「こんなはずじゃない」「自分はこんなものではない。」「もっとこうなったら完ぺきになれる!」自我は「にせもの」なので、自分を証明する必要が出てきます。
自己証明に利用する典型的なものは、「所有物」「職業」「肩書き」「知識」「学歴」「ルックス」「特別なスキル」「家柄」「交友関係」「信念体系」「他者の評価」「宗教」「人種」などです。
これら、外付けの証明がないと、自分がいなくなってしまう、、、といつも恐れています(執着)。

金銭的な報酬があったり、誇りや自信の感情を持ったり、愛されていると感じたり、昇進したり、人気があったり優越感を持てたり、ということがあれば、ポジティブな気分になれます。
でも、この気分はずっと続くものではありません。
常に喪失の怖れ、フラストレーション、ストレスを抱えているのです。

何か違う・・・。
ある時点で、私たちは今までに自分が幸せとしていた生き方、自分が求めている方向に疑問を持ち始めます。
人生ゲームの第2段階は、本当の自分を思い出そうとする段階。

「助さん、角さん、もういいでしょう。」

といって水戸黄門が正体を明かすように、本当の自分も真実の姿、正体をそろそろ明かそうかなと思うようになる。
水戸黄門と違うのは、ニセモノの自分が本当の自分(無限の存在)のアイデンティティを知らないところ。
、本当の自分が自ら姿を現すことはなく、ニセモノの自分(私という感覚)が消滅することで姿を現します。

つづく

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