目以外の何かで、その人を見たことがありますか
以前によくやっていた自己愛を高めるためのワークショップで、
「自分と他人を比べるためによく使っている基準は何?」という質問で必ずといっていいほど出てくるのが、「容姿の良し悪し」です。
多くの人は、自分の容姿に満足していません。
自分は魅力的に映っていない、とかなり強く信じています。
世の中で人工的に作られた「美」の基準に照らし合わせて、
「自分はブスだ」
「太り過ぎている」
「ハゲてきた」
「背が低い」
「セクシーではない」
「しわが増えた」
「肌が汚い」
などということばかりに心が囚われ、その見た目への良し悪しへの過剰なまでの囚われが、人々に、本当の意味ではまったく必要のない物やサービスにお金を使わせるのです。
美人だと思っている人は体型がよくないと悩み、体型にOKだしている人は髪が薄くなったと悩み、、、と、どこまでもOKじゃない部分を探し続けます。
人工的に作られた「美」の基準に合うように、アイドルたちはこぞって整形させられ、
テレビで踊って歌っている若い女の子たちは、みんな整形とメイクで没個性化、工場で作られた商品のように同じような顔がずらっと並んでいるのはなんとも異様な風景だと感じます。
見た目のコンプレックスがある人は(日本に住んでいたらほとんどみんな大なり小なりあるといってもいい)、「もっと美しければ愛されるだろう」、「もっと魅力的なら人生において成功するだろう」と思っています。
完璧な容姿を持った人がでは幸せかというと、そこに自分のアイデンティティを持つ人は、それがいつかは衰えてなくなっていくという恐怖の苦しみを味わいます。
わたしのところにも、たぐいまれな完ぺきな容姿だなあと思えるクライアントさんが何人か来ましたが、
その人たちは美しいけれど、やはり他の人と同じように「自分は愛されていない、孤独だ」という現実を作り、人生において失敗しているという感覚に苦しめられているのです。
恵まれた美貌ゆえに、人から嫉妬され苛められた、見た目だけで人が寄ってくるばかりで、本当に深いところで誰ともつながれない、など、実際にその恵まれているはずの彼ら彼女らの、他の人には絶対に見せない苦しみの告白をたくさん聞いたおかげで、容姿がいいから他の人より幸せになれる、というのは本当ではない、というのがよーくわかりました。
人は美しければ自信を持って自分らしく生きていけるというのが幻想だというのは、ある本で紹介されていたエピソードで知りました。ある完璧な美貌の女性が、中東の国に旅行に行き、そこの慣習にならって顔を半分ベールで覆い隠して数日過ごしたとき、はじめて「見られる」というストレスからの解放を味わって、そのままその国に帰化しちゃったという実話があるそうです。
【ダイアローグ・イン・ザ・ダーク】という、まっ暗闇のソーシャルエンターテイメントに参加したことがあるのですが、それは「見る」「見られる」ことから解放された世界が、どれだけ人を癒す力があるかというかというセラピー体験でもあるんです。
暗闇で”生”を深める
それにしても、「美しければ愛される」、「もっと魅力的なら人生において成功する」というストーリーを信じて、苦しんでいる人のどれほど多いことか。
以前うちに来た男性は、幼い頃全身大やけどをして、その火傷の跡があまりにも醜くて、そのせいで自分の人生は台無しになったと本気で信じていらっしゃいました。そしてまだ残っているその「酷い火傷の跡」を見せてみらったのですが、わたしは自分の目が悪いのか?と疑うほど、そこにはほとんど何もありませんでした。ストーリーにはまると、自分が見たいようにしか見えなくなるんですね。
かくいうわたしも、自分の女性っぽくない丸みのない体型、小さな胸、毛深い脚への嫌悪感はなかなか手放せないでいました。
顔のつくりに対しても、満足からはほど遠かったです。
それらがずっと恋愛ができなかった大きな原因でもあります。
「スリムでいいね」って人は言います。
でも、本人はそれを醜いと思っているわけです。
また、歳を重ねていくことは、劣っていくことであり、セクシーでなくなってくることだという病的な考えもあります。
目の下のたるみを見てはため息をつき、生えてきた白髪を見るたびに嫌な気分になるのです。
好きな人と心が繋がっていないと感じるたびに、「もっと美しければ、セクシーだったら愛されるのに」、というノイローゼ的な考えが頭の中を埋め尽くします。
※それらの病的な考えがどこから来たのかをたどっていけば、テレビの情報、広告、少女漫画やドラマ、まわりの大人の会話など(特にうちの祖母は容姿に対するこだわりが半端なくて、、90歳になっても「昨日よりしわが多い」と美容クリームを毎日一生懸命顔に塗り込んでいました。その影響は計り知れません・・・)、そして、それらに洗脳された仲間たちとの会話などが、幼少期から少しずつ潜在意識の中に溜まっていき気づいたら大きな塊になっていたのでした。
本当の問題は、肉体の不完全さではなく、内面の問題です。自分の肉体が不完全だと見える心の未熟さが問題です。
「人間の本質は攻撃性である」という間違った考えから、人が信じられず、人を恐れ、いつか誰かに「あなたは魅力のある存在ではない」と言わるのではないかと、たえずビクビクしているのです。
その恐れおののいているエネルギーが、わたしを醜くし、そして衰えさせていたのです。
「この容姿はOKではない」、「若い方がベター」、という考えがあり、そういう現実を作っては苦しんでいました。
原因はすべて心です。
心が健康になっていくことで、わたしは「自分の容姿がOKではない」というのが自分の歪んだ解釈であり、事実ではない、ということに氣づくことができました。
そうすると、以前の美への執着や老齢に対する恐れに囚われていたときよりも、より軽やかでピュアなエネルギーが出るし、自然な笑顔も出るし、前よりもずっとずっと若々しくてチャーミングな自分に出会えるようになりました。
以前は、「メイクをしてちょっとマシな顔にしてからじゃないと恥ずかしくて人に会えない」と思っていたけれど、今はメイクしていない自分もメイクしている自分もどちらもOKです。
前に比べ、メイク道具3分の1ぐらいに減りました。
着るものは、人にどう見えるか、よりも、着心地がいいか、の方にずっとずっとこだわっています。
考え方が変わり、恐れを手放したら、着るものの所有量はそれほど必要ないということもわかりました。
心が健全になることで、自分の体を粗末にしない生活習慣が増え、内臓が健康になり、それが真のアンチエイジングへとつながっていきます。
とにかく、思考が健康になれば、肉体は自然に美しく若々しくなります。
思考を健康にするためのいくつかのヒントを書いておきます。
☆モノサシは人によって全然違う。
☆みんな自分のコンプレックスを氣にすることに夢中で、あなたのコンプレックスのことなどほとんど氣にしていない(つまり、みんな自意識過剰になっている)。
☆完璧な容姿を持つ人も、「容姿で価値が決まる」という世界観の中で苦しんでいる。
☆世の中の人全員が「この容姿はOKではない」、「若い方がベター」という考えから目が覚めたら、毎年何億円というお金を使って人が物を買うことはなくなる。そうすると困る企業とそれを操っている人たちがいるから、みんなを目覚めさせないように必死で「あなたの容姿はOKではない」、「若い方がベター」の考えを洗脳している。
☆「もっと美しければ愛されるだろう」、「もっと魅力的なら人生において成功するだろう」という病的な考えを手放すことができたら、もっと愛されるチャンス、もっと成功するチャンスが増える。
☆この世界には”目”以外の何かであなたの美しさを見つけている人たちがたくさんいる。ビジュアルだけで他人を見て評価しているような人たちとつき合わなくても、決して孤独になることはない。
☆「目」以外で、人や自分を見る練習をすると、美の本質がわかるようになる。
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