なぜ書くのか ②
昨日のつづきです。
まずは、
「外側(現象)は中立で、感じているのは自分の中だけ」ということについて見ていきます。
ここに一本のロープがあったとします。
そのロープを見て、ある人は悲しくて重苦しい気分になりました。
またある人は、生きる希望や感謝の気持ちが沸いてきました。
またある人は、恐れを抱きます。
一方、ある人は何も感じませんでした。
ロープはただのロープです。
そこに人は、体験してきたことなど過去のデータをくっつけて、いろんなストーリーを見て、感じます。
過去に、父親がロープを使って首をつろうとしていたのを見てしまった。
その人にとって、ロープは「死の象徴」だったり、悲しみに対するトリガーになったりするかもしれません。
過去に、山で遭難に遭い、ロープがあったことで命拾いしたことがある。
その人にとっては、ロープは「命を救ってくれた感謝の象徴」になるかもしれません。
真っ暗闇の中でたまたまロープを掴んだ、自分が何を掴んだのかわからず、得体の知れないもの(毒ヘビかも?)と恐れが出てきます。これは意識の世界も一緒のことで、光の当たっていないもの(自分の中で統合されていないもの)は、とても恐ろしく感じるようです。
そういうロープにまつわるストーリーが何もなければ、ロープを見てもなんにも感じないかもしれません。
このように、ロープ自体はただのロープ、ニュートラルなものですが、
それぞれの過去のデータ、ストーリーをくっつけると、
人によって、そのモノに対する感じ方・解釈がいろいろになります。
なーんでもそうです。
モノも、現象も、本来はニュートラルなのですが、
すべて、個々人のストーリーをくっつけてみて、ザワザワしたり、ワサワサしたり、ウキウキしたり、
するのが人間です。
セックスも同じ。
セックス自体は、ニュートラルです。
いいものでも悪いものでもなければ、肯定的でも否定的でもなく、
きれいなものでも汚モノでもないし、
神聖でも、野獣的なでもないし、
ほんとに、なんの意味も価値もありません。ただの人間や動物にそなわった本能的なメカニズムです。
そこに意味づけをするのは、私たち人間です。
神聖なもの、生殖を目的とするもの、祝福すべきもの、愛の表現、生きることそのもの、
親密感の象徴、コミュニケーションツール、下品なもの、恥ずべきもの、不潔なもの、
規制が必要なもの、秘められたもの、隠すもの、、、
もともとはニュートルなんだけれど、
文化によって、時代によって、国家によって、地域によって、家系によって、宗教によって、マスコミによって、政治によって、教育によって、個人によって、
これほど多に意味づけされているものはないかもしれませんね。
どれが正しいとか間違っているというのもありません。
あなたが、何を信じているか、ただそれだけです。
信じていることを体験します。
セックスを肯定的にとらえている人は、セックスの面で肯定的な経験をします。
セックスを否定的にとらえている人は、セックスの面で否定的な経験をします。
何を信じているかで、経験すること(見ること、聞くこと、体験そのもの)が変わります。
今の日本の現代社会で生きる私たちは、
セックスに否定的なイメージが植えつけられていることが多いです。
特に世代が上がるほどそれが強いかもしれません。
セックスに罪悪感が結びつけられた、その背景をみていくと、
宗教的な刷り込みも無視できません。
宗教信仰の対象として、「神」という超越した存在がありますが、
人は、漠然とイメージするこの「神」というものに罰せられることを、
何よりも一番恐れているのではないかと思います。
キリスト教にしても、仏教にしても、
聖なる存在が処女から生まれたことにしたり、
妻はいなかった、としたり、
性欲を戒めたり、
清僧であることが求められたり、
女性が下等だと位置づけられたり、、、
その神(宗教)がセックスに否定的なイメージやいろんな制限やルールを設けるものだから、
それを侵すことによる罪悪感や恐れを持つのはある意味自然なことですよね。
神さえも、先ほどの例のごとく、様々なイメージを持ったり、意味づけをするのは、人間です。
優しい神さま、怖い神さま、優しいけれど怒ると怖い神さま、、、
どんな神さまイメージを持つのも、あるいは持たないのも自由ですが、
どのイメージが正しいというのも本来はないはずですし、
どうせ持つのであれば、
いいとか悪いとか、正しいとか間違っているとかいう神さまよりは、
なんでも無条件に受け入れてくれる神さまのイメージを持っている方が、
根拠のない罪悪感に苦しめられることがなく、生きるのは楽ですね。
「でも、なんでも無条件に許されてしまったら、秩序がなくなり、世の中混沌としてしまう」
というのが、次に出てくる思いです。
それは本当でしょうか?
あれはダメ、これはダメ、と“自然な”衝動、欲求をおさえるから、
自然・愛との調和が乱される世の中になるのではないでしょうか。。。
こうやって、丁寧にセックスのイメージや観念、その背景を紐解いていけば、
本来のセックスへの素直な思いや感覚を取り戻すことができます。
ちなみに、私のセックスに対する洗脳を解いてくれたのは、バイロン・ケイティの「あなたを苦しめたり悩ませたりするのは「現実」ではなくあなたの思考(何を信じているか)です」という思考を調べるワークや、
奇跡のコースの「罪悪感」や「許し」の教えやワークでした。
前回ご紹介した、田中みっちさんの語る「セックスレスが蔓延した歴史的な背景」のセオリーも、とても腑に落ちますよ。
あとは、「外側(現象)は中立で、感じているのは自分の中だけ」なので、
ザワザワ、ワサワサという感情的な反応(罪悪感、恐れ、羞恥心・・・)を感じ尽くして、
溶かしてしまうというアプローチをたくさんやりました。
今では、セックスは私にとって“祝福すべき素晴らしい行為”。
今まで恥ずかしくて大切ではないと思っていた自分の体に備わっている部分に対しての思いも変わったし、性欲という自然な衝動をリスペクトするようにもなりました。
セックスは恥ずべきもの(生殖を目的とする以外は)、と信じてきたときよりも、
はるかに幸せで楽で、自由な人生が送れています。
それでも、まだこういうことを書くことには多少の抵抗があります。
阿部敏郎さんのブログに、
「性欲は生命の根本的衝動なので、人が一度抱えてしまった観念を書き換えるのは極めて難しく、この分野に踏み込む人は代償を覚悟しなければなりません。」
という記述がありましたが、
この代償を覚悟しないと書けないものだなあと。
でも、自分の中で悩み苦しんだテーマであっただけに、ここをタブーのままにしておくのは、
なんとなく違う気がするのです。
「この分野に踏みこむ人」
田中みっちさんも、子宮委員長はるちゃんも、
これまでどれほどの代償を払ってこられただろうと思うと、その勇気と強さは尊敬に値するものがあります。
でも、時代が変わってきました。
先日ご案内した、上映会のお申込みもどんどん入ってきています。
迷っている方、ぜひ、ぜひ、ぜひご参加ください。
そろそろ、一緒に正直に生きてみませんか?
≪田中みっちさんと子宮委員長はるちゃんのDVD上映会≫
■日時:8月2日(日)
10:00~12:00 田中みっちさんの≪真・性愛学~セックスレス解消編~≫上映会
13:15~16:45 子宮委員長はるちゃん&たまこと岡田さんの≪子宮と宇宙と人間のお話≫
■場所:川西市みつなかホール 第1セミナールーム
■料金
各回 1000円
通し 1500円
■定員 30名
■主催:Figue お問い合わせ; hananotokiminorinotoki@gmail.com(中井ひさ)
ピンときた方、ぜひお待ちしております。
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