ブログ

社会もやっぱり自分の心が映し出されている鏡です

>社会で起きる事件の報道を見るたびに、もし生活環境やマインドの状態が混乱していれば、自分だって同じことをしたかもしれない、その可能性はゼロとは言えないと思うのです。

阿部敏郎さん(いまここ塾)の最近のブログに書かれていた言葉です。
さすが阿部さん。いつもながら、文章に心を打たれる。
みんながこういう自覚でいれば、世の中がガラッと変わるだろうなー。
世界には加害者もいなければ、悪人もいない。
私たちがそういう人を創り上げて、ののしったり、憎んだり、不平を言ったり、怒ったり、恐れたり、裁いたりしています。
これは、私たちが「自分は何者か」を知らないから、そうするしかないのです。
殺人も、幼児虐待も、詐欺事件も、性的犯罪も、どんな事件も、どんな出来事も、私たちの中にある意識が世界に投影されているだけです。
おそらくすべての人が持っているであろう憎しみ、憤怒、怖れ、私利私欲の心、性的なゆがみなどが燃料となり、それが極限になって実際に行動に移すことになった人たちを、私たちはニュースなどで目にします。
そのような事件は、私たちが自分を無意識に裁いていることに気づいて許しに置き換え、自分を愛で満たす人が一定数に達するまで続くでしょう。
世界・社会はすべて自分の心を映し出す鏡」ですので、事件が起きてそういう報道を見るたびに、自分の中にネガティブとか悪いとかレッテル貼りはないか、偏見はないか、自分への愛が足りていないところはないか、抑圧された気持ちはないか、をチェックするようにしています。
自分の心が平和でなければ、安心できて平和な社会で暮らすことは不可能だからです。
言いかえれば、物理的に住む場所を変えたりしなくても、安心できる社会に暮らすことは可能なのです。
阿部さんのブログの続きです。
>人間はどこまでいっても光と闇を併せ持った存在です。
僕たちは光だけになった偉大な人物に憧れ、そのような人が世界のどこかにいるはずだと期待しますが、そのようなことは起きません。
光は闇があるからこその光なのです。
ただし、いわゆる悟後の修業が進み、人間として洗練されてくると、闇の面をほとんど発揮しなくなってきます。
それは不断の気づきが養われているからです。
闇は無意識の中でしか発揮されません。
十分な気づきを持ちながら、闇を生きるのは不可能です。
なぜなら気づきは光の一部だから。
それでも闇は光の背後に可能性としてあり続けます。
人間稼業は難易度が高いですね。

カテゴリー
最近のブログ記事
キーワード検索
月別アーカイブ

リンク

貊村 みゃくそん[れなり]ショップサイト
オリーブオイル「れなり」のご用命は、【貊村リンク】ショップサイトへ

貊村から世界が変わる!」で貊村についてご紹介しています。